Twitter再開しましたw

Twitterやめてストレス源から逃げられたと思ったのですが、会社の愚痴が言えなくなって憤死しそうだったので復帰しました(謎

以前私と関わりあった方は、ぜひ再度フォローお願いします。

コメントを書いてくださった方などはすでに私の方から再フォローしてございます。

あと日本海さん(@see_of_japan2)はどこにいったのでしょう?
FBに移られたとの話を聞きましたが、もしこのエントリーご覧いただけたらご連絡をw
がんずさんが心配してましたw

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ネットで快適に過ごしたい方へ

ネットで快適に放言生活を楽しみたいなら、触れてはいけないモノが二つあります。

動物愛護歴史問題です。

個人的な体験ですが、この二つは実にめんどくさい狂信者が高確率で存在するので、話をしない方が無難といえます。

なお、ここでの歴史というのは、いわゆる南京事件だったり、イデオロギーに深く関わりのある話のことです。たとえば和同開珎の話をいくらしても狂信者はわいてこないと思われますので、思う存分話していただきたいところです。なんなら永楽通宝でも寛永通宝でもかまいません。

それでもなお、動物愛護や歴史について語りたいというなら、自己の正義感に縛られ、排他的で言葉の通じない人たちとの戦いを覚悟しなければなりません。

彼らは確信犯であり、己の正義は万物の絶対法則と信じているので、どんなに汚い罵倒も余裕でこなしてきます。まともに相手しているとストレスがマッハなくらいw

めんどくさくて放置するなり討論を拒絶すれば「間違いを認めて謝罪しろ」とかよくわからない事を言ってくるので大変うっとうしいことこの上ないわけです。

他者の考えに対し寛容さを失った人間はある種の精神病か強迫観念に犯されているといっても過言ではなく、ともあれ正常なコミュニケーション能力を何かをトリガーとして失ってしまう人は、そもそもネットメディアもROMすらもやめたほうがいいわけですよ。

あと、突然世界の摂理や宇宙の真理と交信してしまう人も、なるべくネットに関わらない方が社会とためかと思います。

そんなわけで、クマの話でもしようかと思いましたが、やめときますw

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政治家も企業も実は少子化なんて真剣に考えていないのでは?

人口が増えれば内需が増えるというのは、失業率が低く国民の所得が安定しているから言える話で、壮絶な席取りゲームの結果、その日暮らすのが精一杯な若者を量産している現状で、人口が増えても車も家電もサービスも需要が伸びるわけがないのです。

最近、経団連の研究機関がこのままだと日本は先進国から脱落するシナリオを発表して大きな話題となりましたが、そもそもそのような脱落のシナリオに至るシナリオを書いてきたのは他ならぬ経団連と政治家なのだから、こんなことを言われても無能をさらす露出羞恥プレイなのかと勘ぐってしまいますねw

結局、少子化というのは失政を国民の責任に押しつけるだけの安直な言葉遊びなのでしょう。
少子化の原因を価値観の多様化や生活の変化などと国民の選択そのものに問題があるような言い方をしている時点で止めてしまい、多様化や変化はなぜ起きたのか、そこに政治や企業の責任はなかったのかという責任や原因の追及が起こらない限り、人口の減衰はとまらないかと思います。

また、仮に人口が持ち直したとしても、その子供たちに仕事や豊かな生活は与えてあげられるのか、また与えられる社会が構築できるのか、という疑問もあります。

つまり、少子化を解決したとして、何かメリットがあるのか?という疑問があるということです。

結局のところほしいのは低賃金で働いてくれる下流労働者であり、同時に彼らが適当な消費財を消費し経済を回す状況を作り出したいというのがおそらく本音であり、ゆえに日本人である必要はなく、また日本人よりコストの低い移民を受け入れようというおかしな考えにゆがんでいっているんじゃないでしょうか。

要は、内需を拡大してくれ、低賃金で都合よく働いてくれる労働力さえ確保できれば、それが日本人であろうが何人であろうがよいというのが本音であり、そこに日本人の人口を増やすという最上目標はないのではないか、ということです。

実際、各企業は積極的に日本人以外の雇用を進めています。国際化などという名目を掲げていますが、実質的には人件費の圧縮なども目的の一つでしょう。

企業は民間の団体であり、また利益を出すことが至上命題ですから、人件費を抑え良質なサービスや製品を提供するというのは正しいことでしょう。しかし「企業は社会の公器」という言葉もあるわけで、利益を出すことと同時に社会に貢献することが大事だというのは、力あるものの勤めとして当然ではないかと思います。

実際、CSR活動と称して社会貢献に積極的に動いている企業もあります。
しかし、アフリカにワクチンを送ったとか、介助用の車両を提供したとか、東北に何かを寄付したなどと、わかりやすい活動よりも、一人でも多くの日本人を雇用し社会安定の礎になるという、企業活動の延長としての社会貢献をやってほしいものです。

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鷲宮に戻る

母上の誕生日を祝うため、鷲宮の実家に戻ってきました。

実家に戻ると何もしなくてもご飯が出てくるため、大変ラク…なハズでしたが、結局朝ごはんと夕飯はなぜか私も手伝うハメになり、何しに戻ったのかよくわからない事態となりました(母の誕生日では…

かなり疲れていたので、家事を何一つやらずにゴロゴロして過ごせるのは実家の素晴らしいところ。PSPを持っていったので、スパロボでもやろうかと思ったのですが、先週恐ろしいほど疲れていたので、結局ずっと寝てましたww

ちょっと実家のそばを散歩したりもしたのですが、らき☆すた特需でできた街頭にぶら下げられたかがみとつかさのペナントが、風雨で汚れまくって、悲しい気分に。
そういえば今回は、痛車とか見なかったですね。鷲宮のらき☆すた人気も廃れたのでしょうか?

一方で栃木県佐野市で痛車イベントなどが開催されたり、周囲の自治体の町おこしの一環として鷲宮を盛り上げた各種イベントが導入されるようになった模様。

とはいえ、最近痛車ってあまり見ないですよね。ブームは去ったのでしょうか?

さて、また明日から仕事です。

週末の休みって短いなぁ・・・;

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第二次スーパーロボット対戦Z 再世編

実はスパロボはPS2版のMX以来ほとんど購入していなくて、シリーズも通してしっかり遊んでいるわけではないお気軽ユーザーなのですが、第二次Zはお気に入りの作品が多く出ていたのと、戦闘アニメがカッコ良かったので購入してみました。

私のスパロボのイメージって第四次(F)の印象が強くて、敵の強さが理不尽だったり、HPが多くて回避が高い敵が徹底的にイライラさせてくれる仕様で、精神コマンド使用前提でゲームが成り立っているのでSLGとしてはアレというイメージがとても強かったのです。

第二次Z(破界編)をやった時は「え、今のスパロボってこんなに簡単になったの?w」と思ったものです。

SRポイント獲得条件という難易度調整的なオプションはあるものの、往時の凶悪な敵パラメーターはなりを潜め、精神コマンドを山ほど使わないと勝てないという展開もほぼほぼない程度。ゲームというよりストーリーを楽しんでもらうほうを重視したんだろうなというセッティングです。

まぁ、もともとがキャラゲーであって、第四次の頃のような高難易度ではライトゲーマーは簡単に放り出してしまうでしょうし。当時の私の友達も「大好きなエヴァが出たから買ったけど先に全然進めないから話がわからない」とボヤいてた女子も複数いたり…

そんな悲劇を生まないためにも、今のようなカタチはアリだろうとは思います。

で、先週その続編である「再世編」が発売されました。
楽しみにしていたので発売当日GETです。

前作から今作までに至る流れみたいな結構長めなプロローグが終わった後、ようやく本編が始まるのですが、そのプロローグ中の話がコードギアスR2?、ガンダム00のファーストシーズンの最終回?、ガンダムWのウィングガンダムが自爆したエピソードあたりから引用されているのですが、残念ながら私はこの三作とも見たことがありません(ぇー

いやぁ、そもそもアニメを見る習慣がないものですから、よくわからないんですよね。
だったらなんでスパロボ買うの?と思われるでしょうが、そんな中でも好きなアニメがあるからですw

まぁ、原作を知らないから「これ原作と違う!」みたいな気持ちにもならず、純粋にゲームのシナリオを楽しめるというメリットはあるかもしれませんねw

なお、いわゆるスパロボ厨でもないのでゲームやってそのアニメを知った気にはならないのですが、同時にゲームをやっても原作アニメを見ようとしないというとんでもないものぐさっぷりなんですけどねw

そんなわけで、ゲーム頑張ってみます。

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身体がヘン

最近、体調不良が悪化しすぎて、ちょっとヤバい状態です。

お酒飲まないと寝れなかったり、断続的に頭痛がきたり微熱が出続けたりと…

ストレスが相当なところまでたまってるんだなぁって気がします。

これで少しでも将来に明るい展望があれば良いのですが、なにもないから頑張る気にすらなりません…

困ったものです。

無理して会社のために働いたところで、上司が全部台無しにする気配が濃厚なので、うまく口実をつけてサボることにします。

つか、サボらんと死ぬw

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日本のゲームは「クソ」になったのか?

最近すっかりモバゲーにはまってしまい、一般のゲームはモンハンすらやらなくなっているゆきです。こんばんは。

痛いニュースにこんな記事が掲載されていました。

“日本のゲームはダメになってしまったのか”…業界人「日本のゲームはクソ」「限界が訪れた」など厳しい意見

確かに最近「ゲーム性」に惹かれて買ったゲームって、ほとんど洋ゲーかもしくはシリーズ最新作ばっかりだなぁと思い、去年一年でシリーズ作やリメイクではなく、国産ゲームでおもしろかったものを思い出してみました。

……

一本もない!

この記事を見てもらえば分かるように、洋ゲーすらシリーズものです。
せいぜい、ToHeart2ダンジョントラベラーズくらいでしょうか。新作とするには微妙ですが。

今、積みゲーを確認してみましたが、今年になって購入した「アスラズラース」というゲームくらいしか、上記の条件を満たしているゲームがありませんでした。

このゲームはフォロワーさんがゲーム中の絵を描いているとのことで、その縁で購入してみたものです。

ストーリーはとてもよくできていて、世界観やゲームの仕組みにもユニークなものが多いのですが、ゲームとして評価すると誰にでもオススメしたくなるほど面白い、というほどではありませんでした(つまらない、というほどではないのですが)。

いつまでたっても解決しない不景気の最中、各ゲームメーカーも挑戦的なゲームを作りづらいのだろうとは思います。

ナンバリングタイトルばかりのゲーム市場の最中、美少女ゲームだけは次々と新作が生まれては消えていくようなカンジになり、いかに前作のファンをそのまま引き継ぐか、という流れに業界全体がなってしまったような気がします。

初代タイトルからして斬新さのかけらもないゲームの続編が次々と生み出されていく現状で、日本のゲーム業界が盛り上がるわけがないよなぁ…と思うのは至極当然なことです。

もちろん、私がプレイしていないタイトルで良作はあると思います。たとえば、バイナリードメインなどは気になっています。
しかし、買わない。言い方は矛盾するようですが、続編以外のタイトルになかなか手が伸びないのです。

かなりゲームにお金を使っている私ですらコレなのですから、一般のユーザーがお金を出すわけがありません。

結果として、購入層を絞ってそこにプロモーションを集中させ、彼らが買いやすい内容に仕上げていくという過程を繰り返すことで、ゲームはゲームが好きな人でしか分からない感覚や文脈が濃縮され、次第に一般のユーザーが手を出しづらいモノになっていってるような気がします。

その濃縮の中で、既存のユーザーを引っ張るというミッションが生まれるため、ナンバリングタイトルや続編ばかりになるのは至極当然のことといえます。

任天堂は比較的一般ユーザーに向けたゲームを多く発売しているといいますが、それでも去年一年間のソフトラインナップはゼルダの新作やリメイク、マリオランドやマリオカートなど、人気シリーズの新作ばかりだったわけです。

結局、ライトユーザーの中でもこの濃縮は始まっているわけで、このままゲームファンとして定着するならまだしも、おそらく大きくお金を落とさない、気になるタイトルを年1~2本程度購入する層が増えていくのだろうと思います。

なお、この方法論はなにも間違ってはいません。ユーザーを取り込むということはこういうことですし。ただ、任天堂など(比較的)ライトユーザー向けのラインナップでの濃縮とゲーマー向けの濃縮では排他性の差が極めて大きく、特に後者では濃縮が進む中で新規参入ユーザーが減り、同時に似たようなゲームに辟易したユーザーが去っていく状況をとめられないと思うのです。

なにより、新作が生まれないという状況は、どっちにせよ解決しません。

一方、私が最近ハマっているソーシャルゲームの方ですが、こちらも正直未来はありません。

なにせ、同じようなゲームばかりなのですから。

基本的なルールを共通化することによって、ユーザーのゲーム間移動がしやすくなっている、といえば聞こえはいいのですが、結局ガワや体力回復等のステータスの取り扱い、戦闘やクエストなどのアニメ演出が若干異なるだけで、「いつものモバゲー」というものばかりです。

ただうまいのは、同じようなシステムを量産することで、たとえばあるカードゲームに飽きたユーザーが他のゲームに移動することで、退会という根本的な機会損失を減らす仕組みにはなっています。

また、コラボ企画として他のゲームをプレイしたらチケットプレゼントや招待することでアイテムプレゼントなど、ユーザーをゲーム間で引き回す仕組みがよくできています。

そういう意味ではビジネススキームとしてはよくできていると思います。ただ、ゲームのぷラットフォームとして優秀か、とか、ゲームの質そのものを問うとなると、かなり低めになるでしょう。

しかし、現実的にはそんなゲーム性が特に高いとも言えないソーシャルゲームに専用機のゲームソフトが売上げで敗北しているわけです。

日本はファミコンの国なので、老若男女ゲームに対する親近感はかなり高いと思われます。ゆえに潜在的にゲームをプレイする人は多いわけですが、ソーシャルゲームはそこをうまく開拓していったといえます。
また、いまや必需品となったケータイ一台あれば遊べるというのも大きいでしょう。

逆に、専用機のゲームはハードを購入しないといけない、という最初のハードルをクリアさせるための口実すら作れない現状です。

新携帯機として注目された3DSも値段を1万円も下げたあげく、モンハンというキラータイトルが発売されるまで普及はしなかったわけで、VITAはそのキラータイトルも得られない状態です。

これでわかることはハードウェアそのものの魅力を消費者は感じていないということであり、結果的には(今までプレイしていた)ゲームの続編がそのハードで発売されたから買おう、というレベルにまで落ちてしまっているということなのでしょう。

このような現象はおそらくゲームに限ったことではないのだと思います。
結局、不景気でお金があまらないから娯楽につぎ込めない、暮らしていくのがやっとという時代が続いた結果なんだろうと思います。

資金に余裕がなければ手堅い商売をせざるを得ないわけです。

よほど自分のアイデアに自信がある人が、とても面白いゲームを作って、かつ雑誌などで大きくとりあげられたとしてもユーザーが買ってくれるか分からない時代なのだから、いくら野心や才能があっても商業ベースで考えてしまうと難しいのでしょうね。

ファミコン時代もクソゲーが量産されていましたが、それでも野心作に満ち溢れていたと思います。そんな時代はもう戻らないんでしょうかね。

個人的にはVCやDL販売に期待しているんですけどね。大きなゲーム=素晴らしいゲームとは限らないわけですし。

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吝嗇と怯懦

どうしてもうまくいかない、もしくは負け続けている状況だと、損失を恐れるあまり出費を絞った結果、必要なリソースまでも絞り込まれ反撃の機会を失い自沈します。

残ったリソースをかき集め、最後の一撃に全てを賭けるやり方はドラマやフィクション的には盛り上がりますが、それは大きな勝算や、もしくは最後の一撃に勝利するための準備を整えた場合のみ有効な手段です。
つまり、「やる前から勝っている」状況を作りだせた人間だけが、この一撃の勝利を手にすることができるわけです。
フィクションのように「イチかバチか」の大博打に無策で挑む方法は通用しません。運が見方をしない限り、大金を振り込みジ・エンドになるのが現実です。

反撃の見込みのある手段を最大優先するとして、それが確実にアタる見込みがない場合は、数本の逃げ道を形成しておくのが賢いやり方でしょう。いわゆる予防線です。

しかし、前述のように損失を恐れ、必要な予防線を形成するだけの資金もリソースも与えられなかった場合、最終手を打ち損じた場合の逃げ道は確保されず、結果的には大敗北、もしくは再起不能になってしまいます。

このような状況に必要なのは用意の周到さであり、判断力の正しさであり、そして身を切られてもたじろがない胆力です。

それは、損失を恐れるあまり必要なリソースの消費まで抑えてしまう吝嗇や、これ以上の損害を恐れて事なかれ主義になる怯懦とは違います。

様々な状況の分析や考証を経た上での「撤退」や「費用の引き上げ」は意味があることでしょうが、過去に2回ほど勤務していた会社の倒産を経験している私は、このような華麗な分析や判断を自社で見たことがありません。
見たことがないから、勤務先が倒産しているわけですが(笑)、世の中にはそこを踏ん張り、立ち直った会社もあります。そういう会社も私は何社か見ています。

その差は歴然としていて、全てはリーダー(社長や部門長)の素質や才覚じゃないかと。

組織を率いる人間が「負け」が原因でケチになりはじめたら、その会社は遅かれ早かれつぶれるでしょう。

そして私は、そんな光景を毎日目の当たりにしています。

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モバマスはじめました

三村かな子ちゃんが気になってやらずにソーシャルゲーを批判するのもなんだと思ったので、いまさらながらモバゲーのアイドルマスターシンデレラガールズを始めてみました。

せっかく入るのにもったいないので、友人ですでにモバゲーをやっている人から招待状をもらい(誘った人が1500モバコインもらえるそうです)、そのほかの友人と集まってさっそくプレイ!

で、この週末はモバマスばかりやっていたので、序盤の感想などを。
(同じ記事をぐぐたすでも書いてます)

ゲーム性はご存知のようにさほど高いものではないのですが、私はもともとカードゲーム、ボードゲームユーザーなので、数値を見比べる「だけ」というプレイをさほどショボいとは思いませんでしたw

ただ、IT技術をよく利用しているおかげで、アナログなカードゲームとは一味違った仕掛けを持っており、そこがこの手のゲームのビジネスモデルのコアになっているようです。

・リアルタイムで状況が変化する
・分単位で状況が変化するので、ついついアクセスしたくなる
・アクシデントに見舞われることもあるでマメにチェックしたくなる
・アクセスすることや、ユーザーコミュニケーションに無償のインセンティブがあるため、ついやりたくなる
・課金アイテムを使うことで突破できる状況が各所にあり、課金の仕掛けがよくできている

つまりユーザーに「アクセスしたくなる」仕掛けを作ることで、サービスへの関心や興味を稼いでいるようです。

反面、世間で叩かれているガチャについては

・無課金のガチャはコモンカードばかりで課金ユーザー相手には太刀打ちできない
・課金行為に対する結果が運に左右されすぎる。結果が不安定で特に強力なカードが手に入らない
・Sレアと呼ばれる強力なカードの出現率があまりにも低いため、よほどの運がないかぎり重課金ユーザー以外に手に入らない?(少なくとも無課金では入手できない)

という、周知の問題があるのですが、私の感想として「カードがほしいから課金する」ではなく「勝ちたいから課金する」というマインドの方がきっと強いんだろうなぁ、と思いました。

つまり外野が言う「あんな画像にン万出すのおかしいよなw」というのはちょっと筋違いな面もあって、ほしいのは画像だけではなくて、勝つ手段なのかなと個人的には思ったわけです。
どっちかといえば画像の美しさやかわいさなどはプレイを始めさせるためのエサであって、プレイを持続させているのは上記の仕掛けや人間の中にデフォルトで内蔵されている「勝利への欲求」や「見栄」「負けず嫌い」という感情であって、それをうまく利用していると思いました。

私もガチャを体験するため、auのポイント(ケータイ購入時につかえるあれ)を2000円分コインにしてガチャってみましたが、見事にレアだらけ、おまけにダブるという散々な結果になりましたw

ただ、課金ガチャはレア以上確定なので、「初回は」やった甲斐があった程度の結果になります(レアでもコモンよりはぜんぜん強いので)
Sレアとか狙いはじめると、大変らしいですけどねw

もしモバゲーをやっている方がいたらご連絡を。
ちなみにモバゲーでは「男」ということになっておりますので、あらかじめご了承ください。
数年前、まだソーシャルゲーがなかったころに「女」で登録したら、大変なことになった過去があるので・・・w

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ネットにおける「万能感」と連帯する自信

おおよそTwitterやmixiなどSNSでの体験談なのですが、同じ意見の人たちで集まり、かつなぜか自分たちに万能感を感じている人を時折みかけます。

ネット上では「平等」であるという前提と、匿名という覆面をかぶることで自分の身分を隠せるというのが大きなメリットとなり、過剰なほど自分自身を大きく「買いかぶっている」人がいます。
彼らは同調するシンパと常に行動し、その類縁の中で自分の立ち位置を過剰なまでに高く評価し固定しているため、そのヒエラルキーや評価がグループの外でも通用すると考えてしまい、大恥をかいてしまっている人がたまーに見受けられます。

彼らの勘違いは主に以下の2つです。

まず、ネット上だからといって「平等」「等価」ということはありえません。
意見の価値や共感性というのは常に知識や思考力によって裏打ちされているので、無学な人より有識者の意見のほうが一般的には価値が高いものです。
意見の価値は視覚化ができない上に、判断の基準が個人によってあいまいだったり、また発言者個人との親近感やこれまでも交流などによって常に定まりません。
しかし、ある程度の脳みその持ち主なら大体「この意見にはどれくらいの価値がある」という事はわかるわけであり、少なくともその分野の知識のない人間の戯言とは同列同格には扱いません。
ただしこれは、イデオロギーや願望、また発言者個人との交流関係などによって常に浮動するので、時折後者が「ある人にとっては」上回ることもあるかもしれません。
しかしそれは少数意見であったり、先述の同調シンパ内だけの評価である可能性もあり、一般化しないというのもまた事実でしょう。

もうひとつは、匿名性による絶対防御壁の存在です。
身元がバレる心配がない、というのは価値のあるものです。なので私もこうやって匿名で活動しているわけで、「匿名がよくない」といまさら言うつもりはありません。
ただし人によっては(特に実社会では歯牙にもかけられないような身分の人にとっては)、自分よりも上位の存在を殴れる「免罪符」になる場合があります。

日本は民事的な問題を除けば基本的に万民平等かつ言論と良心の自由は保障されています。
なので、「自分より偉い(だろう)人にそういう暴言は吐くな」というべきではないのでしょうが、しかし実社会でその人物と相対した場合、同じことが言えるのかといえば、およそムリでしょう。

なぜなら、実績や人脈、その他その人が人生を歩んできた様々なものと、自分の背負った価値と相対させる必要があるわけで、当然その価値が少なければ、正常な判断力がある人間ならほぼ物怖じするでしょう。少なくとも、根拠のない暴言など吐けるわけがありません。

だから実社会人は自分に肩書きをつけたり、社名を背負ったりとやどかりの如く無力な自分に対し「武装」するわけです。同時にその肩書きを見れば「どのあたりまで判断できるのか」を測ることもできるので、話のレベルもより核心に近くよりレベルの高い商談ができるわけで、肩書きなども決して無駄な虚飾なわけではありません。

実社会においては身分や立場において話の段階やレベルを切り分けることが多いということは、同時にそれらが明かされないネットの社会ではその敷居が取り払われているとも言え、活発な意見が取り交わされる土壌の醸成に一役買っています。

しかしそれはあくまで土壌の問題であり、自分自身で「ネットでは平等」「ネットでは誰が相手でもため口OK」という俺様ルールを作るのはどうでしょう。
そればかりか「このグループでの自分の評価はこれだけ高いのだから影響力は○○に匹敵する」などと勘違いしている人を見るとちょっと恥ずかしくなります。

が、そういう自分に気づかない人も多々いるんだなぁ、と、Twitter初めて最初にからまれた宗教系ニートとの長い論争の際に気づいたことを、なぜかふと思い出しましたw

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